「遺書。平野ユウト。
僕はもう、生きていることに疲れました。
別にいじめられていたとか、そういうわけではないんです。
ただ、同じ毎日の繰り返し。そんな日常から、もう逃げたいんです。」
はるか昔、僕が初めて舞台に立った時の、初めての台詞がこれでした。
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今年起こった何やかんやを経験し、自分なりにメンタルを強くする方法を実践した結果、
僕はかなりポジティブな奴になったなぁ、と、我ながら思います。
なんて自分はダメな奴なんだ、死にたい、自分が嫌いだ、もう無理だ、死にたい死にたい死にたい……
と、思うことも昔は多々ありましたが(リアルに一年の半分以上はこんな漢字だったと思う)、今ではそんなに心が暴れることは無くなりました。
劇団にも入り、素敵な仲間に囲まれ、仕事も何となくこなして、まぁまぁ悪くない日々を過ごしています。
ですが、たまにやってくるんです。
死にたいなぁって、穏やかに、思う時があるんです。
今まで生きてきて十分楽しかったし、もうこれ以上がむしゃらに生きるのも疲れたし。
あぁ、今ここで人生が終わったらどれだけいいだろうなぁ。
って、思う時があるんです。(だいたい飲み会が終わった後の帰路)
そんな自分を見て、
「運動するとポジティブになれるって聞いてリングフィット始めたら、『死にたい…』が、『よっしゃ死ぬか!!』になった」
ってtwitterで言ってた人いたなぁ思い出しました。
気持ちを穏やかにするようにコントロールできるようになって「死にたい死にたい死にたい」から、「今ここで人生終わらないかな〜」に進化しました。やったね?
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前、すごく辛い時に「死にたい」って打ち明けたら、「中学生みたいなこと言わないで。私がそんなこと思ったの小学生が最後だったよ」って言われたことがあります。
みんなそんなもんなの?死にたいって思うのは中学生までなの?
僕は中学でも、高校でも、大学でも、社会人でも死にたいと思ったこと何千回も何億回もありますけど。僕は一生、中学生のままってこと?
一番印象深い死にたいは、大学受験の時ですね。
全く受験勉強していなくて、する気も起きなくて、「高3の2月になったら死ねばいいや」と結構本気で毎日考えていました。
死に方とかも毎日一生懸命考えて、一生懸命ググりました。
そこで、「死にきれなくて後遺症を抱える人たち」の話をたくさん読んで、あぁ僕は自殺とかできないなって思って苦しくなってました。
連単自殺だと苦しまずに死ねるかなとか考えたんですけど、田舎の高校生の自分に練炭を調達する術がありませんでした。
そこで人生終わってたとしても、僕の人生、まぁまぁ悪くないんじゃないかと思いますけどね。
辛いから死にたい、って思う時の気持ちは大体しんどいんですけど、
上記の「受験嫌だったら死ねばいいや」は、何だか希望のある死にたいだよなぁって思いました。
なんか今もそんな気持ちが若干あって、「この先の人生うまくいかなかったら死ねばいいや」ってたまに思ったりします。
でもそれは生きるための心の支えであり、一種の希望なんです。
別に、いじめられていたとか、そういうわけじゃないんです。ネガティブな感情では全くないんです。
僕がポジティブになっても、ポジティブな死にたいが付き纏ってくる。
死にたいが許されるのは中学生までだよねー!らしいが、僕にはいつまでも付き纏ってくる。
お前は、僕の希望なのか?
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自殺には、結構な渋いポイントがあるんです。
家で死んで、発見までに時間がかかって腐敗したらどうしようとか。
先述したように、死にきれず後遺症が残って障害者として生き続けなきゃいけなくなったらどうしようとか。
なんか、まぁ色々。
でも、その渋いポイントのおかげで今日も僕は生きているんです。たぶん。
まぁ別に、今死んでも全然いいと思います。
十分幸せな人生だったから。
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ちょっと前、本気でしんどいときに、SNSで死にたいって呟いたら、2人ぐらいから「死ぬな」ってLINEで連絡が来ました。
正直、すげえびっくりしました。
こんなことで連絡してくれるいい人が世の中にいるんだ。
そしてそんな人が僕の友人なんだ。
今思い返すと、その時の僕が本気で死にかねないと思われてたんだろうなと…。
でも、なんか、本当にすごくびっくりしました。
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何をかきたいのかわからなくなってきた。
僕が言いたいのは、今は穏やかに死にたい気持ちがあって、でもそれはネガティブでもなんでもなくて、
何だかよくわからんくて、それでもブログに残しとこって気持ちになったので残します。
これ、多分書いた後にリアルタイム更新したらやばい奴だと思われるから、ちょっと寝かしておこう。
穏やかな死にたいが消えたら、「そんな時もあったなぁ」の気持ちで投稿しなおそう。
んじゃ、投稿する時の自分、以下にメッセジをどぞ(くぅ疲)
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下書き漁ってたらなんかあって草だ。投稿するときの自分にメッセジ渡されておもろい。
いまだって引き続き、僕の人生の選択肢には「自殺すればいいか」が入っているよ。
でも、君が苦しんでいるように「死にたい死にたい死にたい」って思うことはないかな。
穏やかな死にたい気持ち、よりももっと穏やかになったって感じかな。
凪。凪なんだけど、その静寂は「死にたい」という静けさなんだよね。
最近思うのだけど、口から出してしまった言葉ってもう元に戻らないのよね。自分が起こしてしまった行動はもう修正できないのよね。
じゃあ、死にたいって思ってもしょうがなくない?
後悔してもしょうがなくない?
大事なのは、これからどうするかってことじゃない?
と、最近の僕は思っているよ。
でも、自殺渋い話は今も全く同じこと考えてるかも。
もし自殺がもっとカジュアルに、デメリットなくできるなら、いつでも僕は首をつっている自信がある。
そうなっていないのは、自殺失敗のデメリットがデカいのと、僕が臆病者だからって2つの理由からかな。
うーん、まあ、そういう意味だと、僕はまだいつだって死にたいのかもね。
今すぐに人生終わらせたって別にいいもん。なんでだろうね。
でもなんか昔みたいに「死にたい死にたい!!!!!!!!!」って感じじゃなくて、あぁ、別に、将来やりたいことも何もないしもういつ死んだっていいなあ、くらいなのよ。
ここから先を生きるのがめんどくさいんだよね。
だから人間の根本的なところは、今の僕も変わってないよ。
でも、過去の僕よりは、ちょっとは生きやすくなってるんじゃないかな。
だから安心してね、過去の僕。少しは大人になってるからさ。
そして絶望してね、過去の僕。まだ僕は自殺していないからさ。当分また君は、この生きづらく苦しい世界をさまようことになりそうだよ。
……こんなんでいいか?過去の自分。
未来の僕を見た気分はどうだい?
また、死にたくなったかい?